「曖昧さ」という危険
私は、香川照之という役者が好きでした。
でも、
また、
しかし、今のところ「検討する」等の反応が多く、
この先どうなっていくのか。。。
香川照之が女性に対して働いた猥褻行為は許されない行為である...
ということに異論がある人はいないことでしょう。
でも、「許されない」とは何を意味するのか、
そこで今日は「許されない」について考えます。
事件についてご存じない方もいるかもしれませんが、
8月24日付「デイリー新潮」、9月1日付「週刊新潮」で、
彼が2019年に銀座の高級クラブで性加害を働いたこと、
被害者の女性はいまだにPTSDに苦しんでいること等を報道。
8月26日、
事務所も事実が何かには言及しないまま、
それらを受けて、
テレビやネットで注目されているという状況にあります。
この件に対するマスコミやコメンテーター、
CMで起用している企業の一部の反応に私は違和感を感じました。
「許されない行為」と言いながらも、
多くの反応の中に、このようなものがあったからです。
3年前のことだし、本人は反省し謝罪している、
当事者との間では示談も成立しているのだから、
周囲が今さらどうこう言うことではないのではないか、と。
この根っこには「罪を憎んで人を憎まず」
私自身も、たとえどんな罪を犯した人でも、
罪を償った後には復活できる寛大さは必要だと思っています。
でも、それは罪が明るみに出て、
多くの記事で彼の行動は「性加害」
本来は「強制わいせつ罪」になっても不思議ではない出来事です。
今回のケースで「強制わいせつ罪」
「衣服の中に手を差し込んで身体に触れる」
「むりやりキスをする」
「衣服を脱がせる」です。
しかも、「強制わいせつ罪」というのは、
現在は被害者の親告なしに成立することになっているので、
本来は示談もへったくれもなく、
犯罪行為として規定されていることをやってしまったのだから、
それに社会は「No」と言うべきです(
なのに、「すでに示談になり、謝罪したんだし...」
CMで彼を起用している各社も「検討する」「注視する」
もちろん「検討する」「注視する」というのは
「使う」とも「使わない」
結論は今後次第という含みを残した表現かもしれません。
さて、今回の件は芸能界特有のこととか、水商売だし...
と見る向きもあるかもしれませんが、
行為の中身ではなく、
許されない行為と言う以上、本来は「許さない」
テレビ局にしろ、企業にしろ、
実質的に「許した」ことを意味すると思えてなりません。
もちろん彼を降板させることの影響は計り知れないでしょう。
でも、
香川照之さんには才能があり、役者として一目置きます。
でも、今後を応援する上でも、曖昧に許されてしまうよりも、
双六でいえば「1回休み」
明日からはもう9月。。。
時の速さにため息が出ますが、元気に行きましょう!