鵜呑みにしない
個人的な話で恐縮ですが、ここ数年の間に、
それは、目や耳から入ってくる情報の見方、聞き方です。
発信者が誰であろうと、100%は信じずに50%
「発信者が誰であろうと」の意味は、
国や大臣たちの言うことだろうと、
NHKをはじめとするマスコミの言うことだろうと、
有名人や有名論客の言うことだろうと、
仲のいい友達であろうと、です。
「50%で眺める」といっても「信じない」
「本当かもしれないが、そうではないかもしれない」
「そういう面があったとしても、すべてではないかもしれない」
「本当かどうかはともかく、○○
つまり、常に「別の真実があるかもしれない」「
意識的に心に余白を持って眺めるようになったと言うのでしょうか
目の前の情報を鵜呑みにしないように強く意識するようになりまし
そんなの当然ではないかと思う方もいるかもしれません。
でも、以前の私も含め、多くの人は情報を受け取ると、
聞くところによれば「~らしい」「~だそうだ」という見方をし、
頭ごなしに信じているとは言わないまでも、
「そうなんだ」と受け入れるのが先、
「本当か?」は後というスタンスなのではないでしょうか。
私が「本当か?」といちいち思うようになったのは、
1つにはcovid-19に対する専門家の発言への不信感や
マスコミの煽り報道への不信感も影響しています。
マスコミといえば、covid-19の煽り報道だけではなく、
政治報道で「報道しない自由」を濫用するようになって
信頼できなくなったというのもあります。
また、ある一場面を切り取られると、悲しいかな、
本当だと思ってしまったことが何度かありました。
最近の例で、鵜呑みにしてしまいそうな「情報」
たとえば、ちょうど1週間ほど前、鳩山由紀夫元首相が
誤った情報をツイッターで発信しました。
それは、
とWHOが認めたという発信です。ツイートを引用します。
<勉強会で白澤卓二先生にあらためて訊きました。
元総理大臣の発言となると、「そうなのか」
でも、悪気はなくてもこの情報は間違っていました。
また、今年はこんなこともありました。
7月の参議院選挙の際に、
同じ維新の候補者であった海老沢由紀氏に対し、街頭演説の最中に
肩(胸だとも)を触るなどのセクハラ行為を働いたとして、
その映像がネットを駆け巡りました。
私もそれを見て、
その後の海老沢氏のブログを読んで、「こちらの方が真実だ」
切り取り報道、印象操作の恐ろしさを痛感しました。
現代社会は、あまりにも多くの情報で溢れかえっています。
そして、民主主義国家だからこそ、
発信者は誰もが自分の見方に基づいて、自由に発信できます。
さらに、フェイクニュースのように悪意を持って情報を流したり、
意図的に流さないことも可能です。
ということは、
これが何を意味するかと言えば、
各自が情報としっかり向き合い、
残念ながら、人間にはムードに流され、
代表性バイアスという心理的特性があります。
つまり、何かの力によってコントロールされる可能性がある、
そんな状況にあって、私たちはどうしたらいいのでしょうか。
まず第一に「鵜呑みにしない」に尽きますよね。
さらに言えば、やっぱり「調べる」です。
昔と違って、検索すればいろんな解説が出てきます。
問題は、これだけ情報が多いと、
でも、「鵜呑みにしない」という態度をみんなが持つだけで、
誰かが描いたシナリオを闇雲に信じてしまうことはなくなりますし
それだけで世論の健全化は図れるのではないでしょうか。
すっかり秋らしくなってきました。
今週も残りわずか。素敵な9月最終週にしたいものですね。