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『ココロのミステリー』カテゴリの記事

 

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車のラジオを聴いていたら、ゲストにアンミカさんが出てきて、
彼女監修の「ポジティブ手帳2025」についてトークを展開していました。
ああ、もう手帳が話題の季節なんだな...と思いながら聴いていると、
その手帳には、週次でポジティブワードが紹介されていたり、
心と体を元気にするハウツーが書いてあったりするらしいです。

手帳の内容自体は真っ当で良いものに思えました。
でも、一抹の違和感があって、何だろう?と考えてみたので、
シェアさせてください。


まず、ネーミング。「ポジティブ手帳」...。
Positiveは、積極的、前向き、肯定的という意味ですから、
ポジティブな姿勢、ポジティブな考え方、ポジティブな生き方というのは、
どう転んだって、良いことに違いありません。

しかし、私には、若干「煽り」が入ったワードのように思えてしまいました。
多分「ポジティブ」という語句と世相のようなものが関係しているからでしょう。
社会では鬱などに悩まされている人が増え、
経済環境も良いとはいえないので生きにくい時代です。
夏目漱石ではありませんが、とかくこの世は住みにくいと諦め気分になりがちです。
だからこそ、この「ポジティブ」というワードで先導しようとしているのでしょう。
そう、先導であって、扇動ではないのかもしれませんね。


でも、本当に心が豊かで健康的な状態というのは、
ポジティブであろうと努力することではないと思います。
たとえば、ネガティブ・ケイパビリティという言葉があります。
どうにも答えの出ない、どっちつかずの状況にあっても、
その不安定な状態、懐疑的な気持ちや違和感を抱えた状態に
留まって耐える力を意味します。
決してポジティブであろうと努力するのとは違います。
それは、生きる上での大切な力だという文脈でこの言葉が存在しています。

なので、ネガティブ感情から抜け出したいがために、
ポジティブであろうとすることは、
自分にとっては偽りの状態なので、健康的ではないと思うのです。
ネガティブな自分に気づいたら、それも素直に受け入れて留まる。
一番良くないのは、ネガティブ感情に支配されてしまうことですよね。


というわでけ、ポジティブであろうなどと意識せずに、
普通に暮らしていて満ち足りているのが一番なのではないか、
その状態に呼び名はないのだろうか?...と思って調べてみたら、ありました!
「中庸」(ちゅうよう)と呼ぶらしいです。

この概念はギリシャ哲学や
中国の自然哲学「陰陽道」(おんみょうどう)から生まれ、
日本文化は後者から影響を受けています。
NHK大河ドラマ「光る君へ」に、ユースケ・サンタマリアさん演じる
陰陽師・安倍晴明公が登場していました。
彼が礎にしていた思想が陰陽道です。

いったい「陰陽道」とは何でしょうか?
天地の間には、互いに対立し依存し合いながら、
万物を形成している陰・陽の2種類の気があるとされています。
積極的なものを陽、消極的なものを陰と呼びますが、
陰と陽には、善悪も優劣もありません。
「中庸」というのは、陰にも陽にも偏りすぎず、
何事においても過不足がなく、バランスや調和をとることを意味するそうです。

勝手な解釈ですが、そうであるなら、
ちょっとしたポジティブは中庸にとって普通のこと。
そんな中庸の状態が私は健康的だと思います。
努力しなくても、デフォルトがプチポジティブであるようなイメージです。

あ、でもポジティブ手帳を買うことで、
良い1年を送れそうな気がするならそれもアリですよね。
自分をコントロールできるのは自分だけですから。

いよいよ11月に入ってしまいました。
中庸な1カ月にしたいものですね(笑

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当社は、現在、採用活動を行っています。
私は、採用/求職活動の本質は「その人を/自分を生かせるか」について、
企業と求職者の双方が見極めることだと思っています。
では、仕事で「自分を生かせる」とはどのようなことを意味するのでしょうか。

まず、「自分を生かせるか?」という問いと同じくらい重要な問いに、
「自分に合っているか?」というものがあります。
合っていれば、生かせる確率は高いですよね?

では、いったい何が「合っている」必要があるのでしょうか?
やりたいことか? 適性か? 価値観か?
他にもいろいろあると思いますし、どれも重要なのですが、
上の3つで言えば、価値観、適性、やりたいことの順ではないかと思います。


なぜ、「価値観」が第一なのかといえば、
価値観というのは「自分らしくいられるか」の尺度だからです。
つまり、人の幸福と密接に繋がっています。

価値観には正しいも正しくないもありません。
自分はずーっとこれこれを大切だと思ってきた、
それと違うことをするのは抵抗がある、という類のことです。

たとえば、自分の意見は素直に言うのが自然だと思っている人にとっては、
「入社したての君が意見を言うのは十年早い」
という価値観の会社に入ってしまったら、これは不幸ですよね。
反対もまた然りで、
明快な意見などないし、主張するより協調的でいたいという人からすると、
「年齢社歴に関係なく、当社社員なら意見を持っていてください」
という価値観の会社にいたら、これも苦痛に違いありません。
価値観が合わない会社に勤めるということは、
自分らしくないことを求められるということです。

でも、いざ自分の価値観を言語化しようと思っても、
実際にやってみると結構難しいです。
自分の価値観を知る上で、手っ取り早い方法は、
不快なこと、嫌いなこと、カッコ悪いと思うことを洗い出すこと。
自分と、人や仕事とのマッチングを考えるときに有効ですよ。


「合っている」において、その次に重要なのが「適性」です。
価値観が合っていたとしても、適性がないと、
とてつもない努力をしないといけなくなる。
苦手なことをがんばるよりも、得意なことをがんばる方が人は努力できますし、
得意なことなら努力とも思わずにやり抜くことができます。


「自分に合っている」ためには「やりたいことかどうか」も、
もちろん重要ですが、これは案外「思い込み」の影響を受けていたりします。
どういうことかといえば、やったことがないことを「やりたい」と思う場合、
やってみたら、実はやりたいことではなかったと気づくことがあります。
反対に、やりたいと思っていなかったことでも、周囲が評価してくれると、
やりたいことに変化する場合もあります。
だから、やりたいことかどうかというのは、あまりアテになりません。


さて、自分に「合っている」の話をしてきましたが、本題は「生かせる」です。
端的に言うのは難しいですねぇ。
ここでは、「合っている」が満たせた上で、任される仕事の難易度が
自分の実力より少し上で、工夫の余地のある環境で働くこと、
と定義してみました。
どんなに周囲から喜ばれたとしても、自分にとって簡単な仕事をしているとき、
自分を生かしているとは感じにくい気がするからです。
「少し難しい」けれど、でも「できる」という仕事において、
自分なりの工夫の余地がある。
そんな環境で働くと、人は意味を感じるのではないでしょうか。
あなたは、どう思いますか?


自分を生かせているか?
より良い人生を送るために、時々考えたい問いです。

今年もあと3カ月。2024年の第3コーナーですね。
最後まで元気に走り切りましょう!

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地震や台風などの天災、パンデミック、急にやってきた米不足...。
経済や国際情勢を含め、私たちは予測しにくい不確実な時代に生きています。
予測しようもないからこそ、今日は「予測」について考えたいと思います。

というのは、先週の木曜日、朝起きたら右手の手首が痺れて動かない、
左手を添えないと歯磨きさえできません。
そこから1週間、自分の行動を観察したり、他の人の行動と比べたりしながら、
結局ここには「予測」に対する人の価値観が現れるのだなと思ったからです。

ご心配をお掛けしても申し訳ないので結論からお伝えすると、
当初はどうなるかと思った手首の症状も日に日に良くなり、
あと二、三日もすれば、元通りになっていると「予測」します!(

この間に私が取った行動は、木金土日は様子を見て、
月曜日に地元の脳神経外科へ行きました。
脳には異常はないが頚椎の可能性があるからと言われ、
大きな病院への紹介状をもらって翌日火曜日に整形外科に行きました。
結局、寝ている間に神経が圧迫されて起きたもので、
心配はないだろうという診断を得たので、普通に生活しようと思います。
ゴルフも、筋トレも、ドラムもやるぞ~!


今回に限らず、発熱など緊急な場合を除き、
体調が悪くなったら、概ね1週間ぐらいで医療機関を訪ねます。

その理由は、宙ぶらりんだと予定が立たずに困ること、
最悪の状況ではないということの確証を得たいこと、でしょうか。
今回も楽観していましたが、楽観に基づいて行動すると
人に迷惑がかかる場合がある、というのもありました。
多分こういうことが、私の「予測に対する価値観」なんですね。

自分の体調に関しては1週間ですが、
仕事への対処はどんなに遅くても24時間の意識でいます。
何事も「最悪の状況」を想定して行動したくなるのは、
経営者特有のサガかもしれません。
あれは30代の半ば、大先輩の経営者の方からこんな言葉を教わりました。

「最悪の事態を想定しろ。
 希望的観測を捨て、しかし希望を忘れるな」

確かに...と思ったことを今でも覚えています。
最悪の事態を想定することの良さは、
「別に死ぬわけじゃないな」と気持ちを切り替えることができることです。


しかし、人の予測行動は十人十色。さまざまな性分の人がいます。
体調を例にすると、、、
健康管理に気をつけて、日々対策している人もいます。
そういう人の持ち物を聞くととても面白いです。
また、具合が悪くなっても、なかなか判断や行動をしない人もいます。
がんの手術などの大事に至っても、
セカンドオピニオンをもらう人もいれば、もらわない人もいます。
理由も、もちろんさまざま。
ある人は楽観的だからで、ある人は面倒だからであったり。
仕事でも同じように行動は分かれますよね。
人のことはともかく、私は「最悪の事態想定派」です。
悪い方から可能性を潰して、現実的な対応を考えたいタイプです。


ところで、OODA Loop(ウーダ・ループ)というフレームワークをご存知ですか?
私自身はこの原稿を書こうと思って、「予測」について調べている中で、
今回初めて知りました。これが何かというと...

OODAループとは、アメリカの軍事戦略家であるジョン・ボイド氏が提唱した、
先の読めない状況で成果を出すための意思決定方法です。
現在では、ビジネスでもしばしば使われているフレームワークだそうです。

ボイドは、空中戦での決定的な勝因は、操縦士の意思決定速度にあると結論し、
意思決定プロセスを分かりやすく理論化しました。次のようなものです。

Observe:観察する
 ↓
Orient: 状況を判断する
 ↓
Decide:意思決定する
 ↓
Act:行動する

PDCAが計画に対する業務改善モデルであるのに対し、
OODAは、迅速な意思決定を行うためのモデルで、
両者はしばしば比較されます。


なるほど。。。。
「なるほど」とは思いますが、私は2つのOの間で行う、
「Imagine」(想像する)が実は最も重要なのではないか、
予測の本質とはImagineなのではないか、と考えています。

想像する。
相手のことを。
相手の周りにいる人のことを。
自分の行動の後に生まれる状況のことを。
今、何もしなかった場合のことを。
3日後のことを。
1カ月後、1年後、10年後のことを。
その後に状況判断ですよね!
OIODA(オイオダ)です笑 戦闘では使えないけど。


今週、当社のニュースをお知らせをします。
楽しみにお待ちください! ではまた

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ヤフー知恵袋にこんな書き込みがあるのを見つけました。
ーーー
皆さんが常識を疑うことって、どんなことですか?
夏休みの宿題で「常識を疑う」というテーマで作文を書かないといけないのですが、
このお題が私には難しすぎて全然わかりません。
だから普段、皆さんがどんなことに常識を疑っているのかを知りたいです!
ぜひ、協力お願いします!!
ーーー

「夏休み」と書かれているので、多分学生さんが書いたのでしょう。
これを読んで、最初は、「常識を疑う」がまったくわからない人がいることに、
愕然としたものの、よくよく考えてみると、
むしろその感覚の方が健全なのかもしれないなと思い直しました。


というのは、「常識を疑う」の実践はとても難しいことだからです。

たとえば今週、私の中で1つの常識が覆されました。
何だと思いますか?

実は、私、日本という国は「極東アジアの小さな国」だと思っていました。
国土面積が小さい国という意味です。ところが...

日本は意外にも大きかったのです。
知ったきっかけは、「The True Size.com」というサイトを訪れたことでした。
これは、私たちが目にするメルカトル図法によって書かれた地図ではわからない
実際の面積を体感できるサイトです。
たとえば、「Japan」で検索してみてください。
日本がアクティブになり、動かして他国の近くに持っていくことで、
日本の国土サイズが感覚的にわかります。


私が最初に驚いたのは、
日本がイギリスやイタリアよりだいぶ大きいのはもちろん、
ドイツよりも大きそうだったこと。
えー!びっくり!という感じでした。
で、さらに調べてみると...

日本の国土面積は377,945,210平方kmです。
東南アジアの中では、
中国     9,600,000
インドネシア 1,910,931
タイ      513,140
に次いで第4位。(単位はいずれも平方kmです)

それどころか、ヨーロッパのこれらの国々よりも大きい。
イギリス   242,495
イタリア   302,068
ノルウェー  323,772
ドイツ    357,581
フィンランド 336,884

ヨーロッパの国は国土面積が狭い国が多いんですね。


では、なぜ私は(もしかしたら、皆さんも)
日本はちっぽけな国だと思い込んでいたのでしょうか?
ここからは推測です。理由は2つあります。

その1。私たちの目にする地図はメルカトル図法によるものが多く、
この地図の特徴は高緯度に向かうにつれ距離や面積が拡大されることにあります。
日本は、赤道直下ではないにしろ、中緯度にあるので、その歪みの影響を受けて、
地図上の形は実際よりも小さく表示されます。
それが「ちっぽけ日本」という意識を生んだ原因の一つとして考えられます。

その2。考えられるもう一つの原因は、「日本は小さい島国」という見方が
幕末に国内で定着したこと。
どこからどうして定着したのかはわかりませんが、
黒船到来で軍事力のギャップをまざまざと認識させられ、
以来、自国を卑下する意味もあり、ちっぽけな国と認識していったと推測できます。
つまり黒船あたりから、「日本は小さい島国」という萎縮した国家観が生まれ、
そのような言語的表現は定着し、国家的自意識になったということも考えられます。


そして、もっともアタマにくることは、(←これ、自分にです)
「日本は小さい島国」という気持ちで生きていなければ、
もっと気持ちも大きくなったような気がすること!

今回、改めて常識は疑わないと、見えてくるものも、見えないなと思いました。
来週は6月も最終週。今年も半分が終わってしまいますね。
暑さに負けずに元気に過ごしましょう!

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昨日、届いたコンサル向けメルマガで「謙虚という罠」という
タイトルを目にしました。
謙虚さというのは、心の中の問題ではなく、
態度の問題だというのがその内容でしたが、
内容よりもタイトルにインスパイアされて、今日のこのメルマガを書いています。

私も含め、多くの人は「謙虚」は美徳だと思っています。
今の自分に奢ることなく、控えめでいる、素直に学ぼうとする、
偉そうに振る舞わない...。
美徳であり、善であることに間違いありません。

でも、「謙虚という罠」という文字を読んで、
どんな罠があるのか考えてみました。

謙虚は善だという価値観を持っていると、
聞かれてもいないのに、自分の考えを述べるのはでしゃばりに思える、
誉められても、「いえいえ、滅相もない」と応えたくなる、
自分が悪いわけではなくても、謝ってしまう...。
こんなことが起きたなら、それは確かに「謙虚という罠だな」と思いました。

そして、そう考えてみると、一般に美徳であったり、善とされる概念は、
捉われすぎて歪んでくると、善ではなくなりますね。たとえば...

「協調性」が度を越すと → 主体性がなくなる
「真面目」が度を越すと → 融通がきかなくなる
「責任感」が度を越すと → ルール偏重になる 等

ちなみに、今年9月に映画化される辻村深月による恋愛小説『傲慢と善良』。
私自身は読んでいませんが、代官山蔦屋書店コンシェルジュである
間室道子さんはブログで「傲慢と善良は表裏一体」だとして、
主人公の真美について次のように書いています。

ーーー
なぜなら、どちらも根底にあるのは「未熟」と「無知」だからだ。
たとえば厳格な母親にひたすら「いい子」に育てられた真実は
新卒採用の面接で「この会社は第一志望ではありません」と答えた。
嘘がつけない彼女は善良。
しかしこんなことを言われた相手はどう思うかまったく想像しないのは傲慢。
就職試験でこうなのだから、真実のさまざまはうまくいかない。
ーーー



善 VS 悪
もちろん善であるべきなのはその通りなのですが、
人は自分が絶対視していることに対し、疑問を抱かなくなるところが罠です。


「協調性」が「善」という考え方も、日本人のかなり多くが持っていますよね。
その結果、会議では(たとえ疑問があっても)大勢のムードに同調しようとします。
これが、災害時などに作用して、判断を間違えると、
大変なことになったりする場合もありますから、気をつけたいものです。


人が善だと思っていることは、その人にとっては「その人らしさ」でもあります。
自分らしいことを選んでいる方が、誰にとっても心地よい。
けれど、自分が絶対視していることに縛られすぎないようにするためには、
もしかしたら「自分らしくない」と思い込んでいることの方へ、
気持ちをストレッチしてみるのもいいかもしれません。

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2023年もあと10日ほどで終わろうとしています。
今年はどんな1年でしたか?
私にとってこの1年のキーワードは「課題」でした。
会社の課題、自分の課題、案件の課題、社員の課題...。
いろいろな意味で課題に溢れた1年でした。
ですが、私、課題は嫌いではありません。
課題は伸び代であり、成長にとっては宝だと思うからです。


でも、一般的には自分の課題は見たくもないし、人から言われたくもない、
できるものならフタをしておきたいと思っている人は多い...
と、先日ある人との会話の中でそんな話が出ました。
そうかもしれません。
さらに言えば、ネガティブ思考やネガティブ感情は良くない、
ポジティブな思考や感情は良い、そう思っている人が多い(?)
でも、本当にそうでしょうか?


結論から言うと、私は、その考え方には懐疑的です。
ネガティブな思考や感情の方が、ポジティブなそれよりも、
圧倒的に熱量が高いですから、
そのエネルギーをうまく使えば何かが生まれると思います。
実際、自分の経験からいっても、
人生観を変えたり、苦難を乗り越えたり、
新しい世界に足を踏み入れた時には、
その直前に大抵は負のエネルギーがあった気がします。


さて、ここまで考えていたら、
かつて流行った心理テストのようなものを思い出しました。
コップに水が半分入っているのを見て、どう感じるかを尋ねるもので、
「コップにはまだ半分も水が入っている」と思うか、
「コップにはもう半分しか水が入っていない」と思うかの2択。
前者を選ぶとポジティブ思考で、後者を選ぶとネガティブ思考...
というようなものでした。
今思えば、そんなに短絡的に決めつけていいはずがありません。


コップの水を巡っては、ドラッカーの言説にこんなものもあります。

「コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。
だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。
世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、
イノベーションの機会が生まれる」
(P・F・ドラッカー『イノベーションと起業家精神』)

つまり、ドラッカーが言いたいのは、
むしろ先ほどの心理テストの裏返しで、こういうことだと思います。
人がコレコレがないことに不満を感じ、
さらに、おかしいじゃないかと憤りや悔しさを感じる、
それがエネルギーとなってイノベーションを生む。
満たされているからと楽観視していたのではイノベーションは生まれない...。
言われてみれば、まさにその通り!


で、これ、社会もそうですが、個人の内面の変革でも言えるような気がします。
先週末の16日、「ハンク・アーロン賞」を受賞した大谷翔平選手が、
8年前にこんなことを言っています。

自分の中で課題を消化するのが野球のおもしろさなのかなと思います。
今の相手と今後10年、20年、ずっと対戦していくのなら、
このバッターを倒すために必死になるとか、このピッチャーを打ち崩そうとか
思うのかもしれませんが、メンツも時代も変わりますし、
若い世代が入ってくれば対戦相手もどんどん変わる。
だから、思い通りに投げられなかったボールで抑えたことをオッケーにしちゃったら、
成長するチャンスを失うことになるし、もったいないじゃないですか。」
(Number881号:2015/07/02)

つまり、課題があるから努力がある。そこでの努力が重要であって、
結果オーライで課題をクリアしてもダメだと彼は言っているわけですね。


自分にはここが足りないと気づく。
できないことは、できない。
苦手なことは、苦手だ、と素直に自覚する。
足りない面を埋めようと努力するかどうかは二の次。
苦手なことを全部克服しようとするのは逆にナンセンスですからね
まず自分の現実をちゃんと直視する。
すると、努力すべきかどうかがわかる。
どんなに努力しても到底できそうにないなら、方向性を変えれば良い。
やってみてから考えようと思うなら、そうすれば良い。
課題を直視して、努力した結果、成果が出たら自信になるし、
仮に成果が出なくても、次に活かせる学びが残る。
苦手だと直視できたら、「誰かに助けてもらうしかない」と気づくこともできる。
課題という言葉には、そのような広がりがあるように思います。


私は、大切なことはポジティブであることでも、
ネガティブであることでもなく、
ネガティブなことをポジティブに転換することなのではないかなと思います。
あなたはどう思いますか?


寒暖の激しさに体調を崩しそうな今日この頃、
2023年を元気でフィニッシュしたいものですね!

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今年も2カ月を割り、年末が近づいてきますと、

  残る2カ月で、今年本当はやりたかったことがやり切れるだろうか?
  このままできずに終わったらイヤだな...

と、そんな焦りの気分に見舞われます。
「できなかった」はセルフイメージや自己肯定感を下げかねず、
ますますゲンナリ。。。
と、なりそうになるのですが、思考は自分でコントロール可能ですからね、
私は「待て待て。モチベーションは自分でなんとかせい」と言い聞かせています。


というわけで、今日のテーマは「モチベーション」。
ちょっと広すぎるテーマですが、
改めて何なのだろう?と考えてみたので、共有させてください。
言うまでもなく、この言葉は日常的によく使われます。
最近当社では、コンテンツ開発セミナーや連載記事のテーマとして
「モチベーションで」とのご要望をいただく場合も少なくありません。

誰しも、自分が実現したいのに、うまく進まないとき、つまり、
目標を掲げたのに挫折したり、続けるつもりが継続できなかったりしたときに、
自分の中にある「モチベーション」のありようについて考えますよね。

自分のモチベーションについてだけでなく、
例えば、仕事で誰かにネガティブなことを伝えなくてはならないときに、
相手のモチベーションを下げないようにと苦慮することもあります


私たちが「モチベーション」という言葉を使うとき、
大抵は「意欲」の言い換えで使っているような気がしますが、
本来「motivation」の意味は(行動を引き出すための)「動機付け」です。
その本質は何なのでしょうか?

以前の心理学では、人は、報酬や評価、懲罰などの外発的要因によって
動機付けられる、と考えられていたそうです。
それに対し、米国の精神科医ウィリアム・グラッサー博士は、

・人は自分の行動と選択をコントロールできる存在であり、
 選択によって自分の基本的な欲求を満たし、幸福を感じる。
・人の行動や選択は、自分の欲求によって内発的に動機付けられる。

...と考え、これを「選択理論」(Choice Theory)と名付けました。


細かい話は脇に置いておくとして、モチベーション(行動・選択の動機付け)の
根っこにあるものは、自分の欲求、すなわち「願い」だということになります。

と、いうことはどういうことか?
この理論を採用するならば、
行動できるか、達成できるかは、結局「願望の強さ」、すなわち
どれだけ強く願っているかにかかっていることになります。

私が最初にこれを知ったときに思ったのは、
「え? 重要なのは意志の強さではないの?」ということ。
私の中では、「意志」とは、覚悟や決意に近いイメージで、
「願望」とは別のものでした。

そうと分かれば、なんだかモチベーション維持もできそうな気になりませんか?

なのですが、、、、
実は、人の願望というのは、多くの場合、とてもふんわりしたもので、
なんとなくの願いなんですよね。

私たちは、本当に自分が求めているものは何か?などと、
普段なかなか真剣に考えません。
そして、この「本当に自分が求めているものは何か?」の意味は、
成し遂げたいことなどではなく(いえ、それはそれでも良いのでしょうが)、
どんなとき、どんなことに幸福を感じるか、
どんなときに心が躍り、反対にどんなときには怒りや嫌悪を感じるのか、
というようなことから始まるのだと思います。

でも、自分自身のことなのに、なかなかキャッチできないばかりか、
「あらねばならぬ」で考えてしまったりします。


しかし、本当の私たちは、選択や行動を願った通りに決められる。
ありたい自分になれるし、やりたいことをやっている自分になれるはず...なのです。
(あー また始まった! 今回も自分に言い聞かせている笑)
強く願えば叶うなら、たまには胸に手を当てて、自分の願いを考えるとしよう!

心に秘めた強い願望、持っていますか?
モチベーション系のコンテンツは、こんな観点からも考えられそうですね。

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今日は、私にとって耳の痛いテーマになります。
というのは、やりたい、やりたいと思っていても、
やらなくちゃ、やらなくちゃと思っていても、
やれていない状況に目をつむったり、言い訳したりする、
そんな自分自身の話でもあるから(苦笑

たとえば、このメルマガ。
実に久しぶりになってしまいました。
調べたら、なんと5月25日以来です。
メルマガのように継続性が重要なことは、
一度休むと戻ってくるのが大変。
そんなことは百も承知なので、
今までこんなにお休みしたことはありません。

つまり書けなかったのは尋常じゃなく忙しかったからなのですが、
できなかった日に「しょうがないや」と自分をなだめることは、
あまり美しいことではなく、結構ストレスでもあります。
継続には無理は禁物、でもできる無理は必要。
要はそのバランスが重要だと思っているので、
マイルール的にはヨシとしましたが、
やるのもストレス、やらないのもまたストレスなんですよね。


あ、でもこの間にちゃんとやり遂げたこともありますよ。
3月からの4カ月で3kg痩せるという目標は、
先週ちゃんと達成できました。
完璧にストイックな生活を送ったわけではありませんが、
お酒を控えたり、カロリーコントロールしたりと、
それなりに意識して実行した成果です。

やりたいし、やった方がいいと思っている。
でも、できないことがあります。
なぜできないのか、胸に手を当ててよく考えてみました。
それは多分、実は「やりたい」はウソなんですよね。
本当の願望としての「やりたい」になっていない。
本当の願望でないと、スイッチって入りませんね。

たとえば3kg痩せるというのも、
特別太っているわけでもないから、それだけだと切実度は低いわけです。
ただ3kg痩せられたら、こういう服が着られるとか、
その程度の願望はあります。
でも、その程度だと本当のスイッチってなかなか入らない。

なのですが、我が家の場合、遺伝的に循環器が弱く、
悪玉コレステロール値が高かったりすると
(真剣に取り組もうと思った理由はまさにこれでした!)
血栓ができて、血管が詰まるなどの可能性があります。
すると「きゃー こわい!」と、スイッチが入ります。


「やりたい」はウソではなく、本心なのにできないこともありますよね。
大抵は、それをやる時間の確保をないがしろにしてしまうというか、
目先のことを優先してしまう場合に起きます。
よく言われるところの、重要度が高いけれど緊急度が低いこと、
重要度は低いけれど緊急度の高いことがある時、
人は緊急度の高いものを優先してしまうというアレです。

で、これを突き詰めていくと、緊急度が高いと思い込んでいることを
手放す勇気がない時に起きるのだと思います。
体は1つ。1日は24時間なのだから、何かを手放さないと時間は作れません。
頭ではそれがわかっているのに、手放すことができない。
なぜなら、きっと手放すというのは、諦めることだからです。
手放す→諦める→粘り強さが足りない→悪いこと
多分こんな思い込みがあって、積極的にはやりたくない。
まして若い時は時間がたくさんあるので、執着しがちです。
この歳の私でさえ、手放すのは諦めではなく、選択だと言い聞かせてますが、
それでも何かを手放すことは簡単でないと感じます。


やらない理由はほかにもあります。
現状に何の問題意識もなく、あくまで現状肯定している場合です。
楽観的な性格だったり、自信過剰で自分を客観視する習慣がない場合、
努力しようという発想になりません。
そう考えると、自己客観視は成長に不可欠なものだと言えそうです。


がんばったつもりなのに、新しい体験から咀嚼をやらなかったために、
身につかないなんてこともありますねー
「つまりこういうことか」と整理する習慣があると、
コツが早くわかるのに、整理をやらない。
でも、それにも、きっと理由があります。
おそらく結果良ければすべて良しで、
終わるとホッとしてそのまま放置してしまうからなのかな?
立ち止まらないとできないことだから、
忙しい忙しいと言っているとできないのかも。

人間は得てして怠け者です。
そうだったからと言って、誰からも罰せられません。
でも、人生は一度きりです。
やらない後悔はイヤですよね。
Just do it.
...と、どこかのスローガンにもあるこんなテーマで
コンテンツの企画ができそうですね(笑

まもなく3連休です。
まずは今週を乗り切りましょう!

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すでに先週23日から始まっている東京オリンピック。
たくさんの感動に直面し、私はもう何度も泣いています。

そして、改めて感じたのは、
アスリートたちは、私たちが思っている以上に
さまざまな「苦しみ」と向き合って、ここに至っているということです。

コロナによる1年延期はもちろんですが、自分自身の好調不調により、
うまく行かない、結果が出せるだろうかなど、苦しさや不安と戦ってきた。
さらに、オリンピック開催への反対ムードは、葛藤に拍車をかけたことでしょう。

私たちは、オリンピックに出るぐらいの選手なら「常に前向き」だろう
というイメージを抱きがちですが、みんな人の子なんですよね。

さらに競技の当日のメンタルが、結果に対していかに大きな影響を与えるか、
改めて痛感します。

たとえば、金メダルを取った柔道男子73キロ級の大野将平選手。
「自分の中でも感じたことのない恐怖の中で戦っていた」と語りましたし、

テニスで残念ながら3回戦敗退した大阪なおみ選手は
「プレッシャーにはもう慣れてもいいはずだけど、休んだ後ではより強く感じた。
少なくとも1回戦負けでなくて良かった」と語りました。


スポーツをやった経験のある人なら、
メンタルがいかに結果に影響を与えるか、体験的に知っていると思います。
メンタルにもいろいろな側面がありますが、その1つが「集中」。

私の自分の体験をシェアすると、
ハンドボールでシュートを打ちながら、
一瞬でも「入るかな?」と思ったら、ほぼ間違いなく入りません。
ゴルフも同じです。

しかも、これはスポーツだけではありません。
先日、私が通っている音楽のレッスンスタジオで、発表会がありました。
私が習っているのはドラムなのですが、
叩きながら「あ、ここ間違えたらイヤだな」と思ったら、その瞬間必ず間違えます(イタ!)
幸い、発表会当日は、全集中で臨み、なんとかミスなく叩けましたが(笑)

つまり、「できるかな」「できないとイヤだな」などの気持ちがある時点で、
集中できていないということなんですよね。
没我の境地でいると、できる。不思議。

そして、「自分はできる」というイメージを持つことも、成功には必須のようです。
きっと、どんなこともイメージできないことはできないからでしょうね。


ところで、卓球の男女ダブルスで、水谷・伊藤ペアが悲願の金メダルを取りました。
何度も絶体絶命のピンチに陥りながらも、まさに粘り勝ちの真骨頂。
その姿に、人の持つ素晴らしい力を感じたのは、私だけではないと思います。


さて、スポーツ選手のこういった粘り勝ちを目の当たりにすると、
「レジリエンス」という言葉を思い出します。

その言葉、直訳は「回復力」「復元力」「弾力性」などですが、
要は、ストレスがかかっても元に戻ることのできる「しなやかな強さ」のことです。

せっかくなので、選手たちの強さにあやかって、
レジリエンス研究、しちゃいますか!?


レジリエンスを成り立たせる要素は、厳密に言えば、
研究者によって見解が違っています。
でも、大筋で集約すると、この5つかな...と思われる要素を紹介しますね。
それぞれの要素に関連するアスリートたちの発言(TOKYO2020以外も含めた)も
併せて取り上げておきます。まるで、読んだよ大特集ですな(笑)


その1:感情・情動コントロール力
自分の感情や行動をコントロールできること。

  • こんなところで泣いてしまっている時点でまだまだ(萱和磨・体操)
  • 卓球以外でも強くなった(伊藤美誠・卓球)
  • 悔しい思いをしたぶん、もっと強い気持ちで練習に取り組める(桃田賢斗・バドミントン)


その2:「自己効力感」
端的に言えば、自信。達成経験やポジティブな自己認識から
「自分なら出来る、きっとうまくいく」と自分の可能性を信じる力

  • 持っている力を100%出し切ることができれば、夢だった決勝進出も現実的になってくる(山懸亮太・陸上)
  • やっていて感じるのは、まだまだ自分は成長できるなということ(羽生結弦・フィギュアスケート)


その3:「自尊感情」
他人と比較することなく、自分自身を価値ある者だ、
自分自身を好きだと感じられること。

  • どんなに打ちのめされても、心底、体操が好き(内村航平・体操)
  • 何回もミスして、何回も成長して。それが自分らしい(小出未来・水球)


その4:「良い人間関係」
人と信頼関係を築ける力

  • 康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない(松田丈志・水泳)
  • 内村さんから電話をもらった。ケガをして3日後くらいにいきなり電話が来て『大丈夫?気持ちを切らさなかったら絶対に戻って来られる』という言葉をもらって頑張ろうと思った(北園丈琉・体操)


その5:「楽観性」
未来に対して絶望せず、どうにかなると思える力。

  • 神様が何か気づかせてくれるタイミングかな、と考えるタイプ。けがとかについては基本ネガティブじゃない(上野由岐子・ソフトボール)
  • 神様は乗り越えられない試練は与えない(池江璃花子・水泳)


最後の「楽観性」で、「神様」という存在を使って、
今直面している苦難を受け入れようとしている人は少なくないようで、これは面白いですね。

私は、仕事がうまく行く/行かない、仕事で成長する/しないも、
結局、「メンタルが9割」なんじゃないかなと思います。
あなたは、どう思いますか?

さ、この夏も、このオリンピックも、もう2度と来ない。
選手たちを応援しながら、残る7月を元気に過ごしましょう!

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東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の
森喜朗前会長の女性蔑視発言に端を発した
後任会長問題は、橋本聖子前五輪相が就任し決着しました。
橋本さんの人柄や実績についてはよく知りませんが、
当初は過去のスキャンダルなどを理由に固辞していたそうです。
にもかかわらず、火中の栗を拾うようなこの状況で、
よく逃げずに引き受けられたと思います。がんばってほしいですね。


さて、今日の本題は「偏見」についてです。


森さんの発言は「失言」と報じられていました。
あの失言の本質は、言葉の表現の問題ではなく、
心の「本音」が出てしまったということだと思います。
だから、本来はあの発言がなければ良しということではなく、
そういう価値観の人物が組織委員会の長にいること自体が、
世界から問題視されたわけですよね。


今回の森さんの、女性は話が長いという発言内容には、
根っこに「偏見」がありました。
女性に対するネガティブで偏った先入観です。
でも、考えてみると、女性への偏見は未だに社会全体にありますよね。


別に森さんの肩を持つつもりはありませんし、
女性は被害者、男性が加害者と言うつもりもありません。
でも、現に日本のジェンダー・ギャップ指数は153カ国中、121位です。
これは、世界経済フォーラムが毎年発表している
経済・教育・保健・政治分野の男女平等度を表す指数のこと。
あまりの低さにびっくりしてしまいますよね。


話を元に戻すと、ある対象に対して、
ネガティブで偏った思い込みを持つというのは、
人間の特性だとも言えます。
思い込みが怖いのは、思い込んでいるがゆえに、
信じて疑わず、気づけなくなることです。


今回、新会長に就任した橋本聖子さんは、
「参院議員に初当選したとき、
『経済がわからないオリンピック選手がなぜ政治家になるのか』と揶揄された」
とご自身のサイトで書いています。
当選は1995年のことですから、最早26年前ですね。


では、今回の会長就任に対する社会の目はどうなのでしょう?
正直に告白しますよ。
私自身、橋本さんのことをあまり良く知らないのに、
橋本さんで務まるんだろうかと一瞬ですが思ってしまいました。
理由は、やっぱり元オリンピック選手の橋本聖子さんの印象の方が強烈で、
政治手腕やリーダーシップに長けているという印象が薄かったからです。
しかし、だからと言って、26年も政治家として活動して来た橋本さんに対し、
「橋本さんで務まるんだろうか?」と考えるのは失礼だし、やっぱり偏見です。


なぜ、こういうネガティブな先入観が出てくるのでしょうか。
理由を思いつくままに出してみました。
・知らないものに対して、人はそれだけで不安を感じてしまうから。
・アスリートと政治家、それぞれに求められる資質に共通点が見つからず、
 そう簡単に天は二物を与えないと思うから。
・客観的な判断材料がない時は、イメージの影響を受けやすいから。
・これまでに知っている限られた情報だけで、イメージを作り上げているから。
まあ、そんなところでしょうか。


こうして見ると、ほぼ全てにおいて誤解を招き寄せていますよね。
小さなことのようですが、
結局はその思い込みが差別意識とどこかでつながって行くのだと思います。
けれど、実際にはアメリカでは、俳優が大統領にも州知事にもなっています。
日本でも俳優だった森田健作さんは千葉県知事ですし、
東国原英夫さんも政治家でした。
アスリートだったから務まらないと思ってしまうのは、
まさに思い込み以外の何物でもありません。
芸能人によるSNSでの政治的社会的発言をバッシングする風潮にも、
同じような偏見を感じます。


私たちはどうしたら、思い込みを減らせるのでしょうか?
名案は浮かびませんが、
「思い込んでいない?」と自問する習慣をつけるしかありませんね。


コロナによって厳しい状況が続いているオリンピック/パラリンピック。
差別や偏見を乗り越えて来た歴史でもあるし、
ここまで大勢の人たちが努力してきたわけだから、
まさかの奇跡や素晴らしいアイデアによって、開催できるといいなぁと思います。
加えて、私は自分が女性なので、これを機にジェンダーギャップの大幅改善が進み、
国際社会での日本のイメージが変わるといいとも思います。
もしかしたら「オリンピックは無理」というのも、思い込みなのかな?


来週はもう3月です。春の足音が聞こえてきますね。
素敵な1週間をお過ごしください。

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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