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お節介にも三分の理
先週金曜日、11月29日に当社は創立40周年を迎えました。
メルマガを読んでくださっているみなさまには、
日頃のご愛顧に対し、心から感謝申し上げます。
営業職がいないのに、
唯一無二の理由があるわけではありませんが、
敢えて大きかった要因があるとするなら、
それは当社が少なからず「お節介体質」
お節介という言葉自体、最近、あまり耳にしなくなっていますね。
Z世代に通じるかしら?
頼まれてもいないのに、世話を焼くことです。
・でしゃばり
・余計なお世話
・口出し
こう聞くと、なんだか悪いイメージですよね。
・進言する
・参謀的な役割を果たす
・忠信である
こう聞くと、少しイメージが良くなったかもしれません。
でも、頼まれてもいないのにする、という意味は変わりません。
悪目立ちという言葉があるように、
頼まれていないことをするのは、でしゃばりであって、
あまり良くないと考える人は少なくない気がします。
十何年か前、若手の社員からこんなことを言われました。
ーーウチの会社ではお客様にとっての参謀という存在を目指せ。
そのためには意見を言えるようになれと言われるが、一方では、
お客様に寄り添えとも言われる。
同時に別のことを求められている気がする。
進言するのか、寄り添うのか、
もっと簡単にいうなら、進言するか、しないか、
この2択でご自分がどうありたいか、
進言や意見を述べることは、お客様との関係だけではなく、
上司部下間でも同僚間でも「する人」「しない人」に
分かれるのではないでしょうか。
私は、
「参謀のような価値」を提供できる会社にしたかったからです。
「参謀」という言葉と出会ったときには、「これだ!」
ただ役に立つ存在ではなく、頼れる参謀という存在になるには、
イエスマンもNGだし、我を通すために主張するのもNGで、
相手の立場を自分ごととして考え、
信念に従って率直かつフェアでいること。
これが、
40代の頃にこんな出来事がありました。
ある高級美容室チェーンを経営する会社の社長が、私に
「某雑誌からとても良い条件でタイアップのオファーがあった。
どう思う? いい話でしょ?」とおっしゃいました。
背中を押されたくて、出た話であることは十分に分かりましたが、
私は無料だったとしても止めた方がいいと反対意見を唱えました。
というのは、
その雑誌の読者層が高年齢層だったからです。
予想通りでしたが、当然その社長の気分を害すこととなりました。
論破するためにボコボコにされたと言っても過言ではありません。
(少々ワンマンな方だったこともあったかと思います)
しかし、それから数日後、社長直々にお電話をくださり、
「あの話は止めることにした」とおっしゃいました。
進言したことが正しかったのかは誰にもわかりません。
でも、信頼してくださったことは間違いありませんでした。
「お節介体質」
お節介にも三分の理。
そういえば、このメルマガ自体も少々お節介の傾向がありますね笑
お節介体質を受け入れて、読んでくださり、
いよいよ師走です。
2024年をいい形でフィニッシュできますように!
戦略家がやっているらしい「予測」の話
地震や台風などの天災、パンデミック、急にやってきた米不足...。
経済や国際情勢を含め、
予測しようもないからこそ、今日は「予測」
というのは、先週の木曜日、
左手を添えないと歯磨きさえできません。
そこから1週間、自分の行動を観察したり、
結局ここには「予測」
ご心配をお掛けしても申し訳ないので結論からお伝えすると、
当初はどうなるかと思った手首の症状も日に日に良くなり、
あと二、三日もすれば、元通りになっていると「予測」します!(
この間に私が取った行動は、木金土日は様子を見て、
月曜日に地元の脳神経外科へ行きました。
脳には異常はないが頚椎の可能性があるからと言われ、
大きな病院への紹介状をもらって翌日火曜日に整形外科に行きまし
結局、寝ている間に神経が圧迫されて起きたもので、
心配はないだろうという診断を得たので、
ゴルフも、筋トレも、ドラムもやるぞ~!
今回に限らず、発熱など緊急な場合を除き、
体調が悪くなったら、概ね1週間ぐらいで医療機関を訪ねます。
その理由は、宙ぶらりんだと予定が立たずに困ること、
最悪の状況ではないということの確証を得たいこと、でしょうか。
今回も楽観していましたが、楽観に基づいて行動すると
人に迷惑がかかる場合がある、というのもありました。
多分こういうことが、私の「予測に対する価値観」なんですね。
自分の体調に関しては1週間ですが、
仕事への対処はどんなに遅くても24時間の意識でいます。
何事も「最悪の状況」を想定して行動したくなるのは、
経営者特有のサガかもしれません。
あれは30代の半ば、
「最悪の事態を想定しろ。
希望的観測を捨て、しかし希望を忘れるな」
確かに...と思ったことを今でも覚えています。
最悪の事態を想定することの良さは、
「別に死ぬわけじゃないな」
しかし、人の予測行動は十人十色。さまざまな性分の人がいます。
体調を例にすると、、、
健康管理に気をつけて、日々対策している人もいます。
そういう人の持ち物を聞くととても面白いです。
また、具合が悪くなっても、
がんの手術などの大事に至っても、
セカンドオピニオンをもらう人もいれば、もらわない人もいます。
理由も、もちろんさまざま。
ある人は楽観的だからで、ある人は面倒だからであったり。
仕事でも同じように行動は分かれますよね。
人のことはともかく、私は「最悪の事態想定派」です。
悪い方から可能性を潰して、現実的な対応を考えたいタイプです。
ところで、OODA Loop(ウーダ・ループ)
私自身はこの原稿を書こうと思って、「予測」
今回初めて知りました。これが何かというと...
OODAループとは、アメリカの軍事戦略家であるジョン・
先の読めない状況で成果を出すための意思決定方法です。
現在では、
ボイドは、空中戦での決定的な勝因は、
意思決定プロセスを分かりやすく理論化しました。
Observe:観察する
↓
Orient: 状況を判断する
↓
Decide:意思決定する
↓
Act:行動する
PDCAが計画に対する業務改善モデルであるのに対し、
OODAは、迅速な意思決定を行うためのモデルで、
両者はしばしば比較されます。
なるほど。。。。
「なるほど」とは思いますが、私は2つのOの間で行う、
「Imagine」(想像する)が実は最も重要なのではないか、
予測の本質とはImagineなのではないか、と考えています。
想像する。
相手のことを。
相手の周りにいる人のことを。
自分の行動の後に生まれる状況のことを。
今、何もしなかった場合のことを。
3日後のことを。
1カ月後、1年後、10年後のことを。
その後に状況判断ですよね!
OIODA(オイオダ)です笑 戦闘では使えないけど。
今週、当社のニュースをお知らせをします。
楽しみにお待ちください! ではまた
パリ五輪開幕~運?勘?自分に負けないって?
パリ・パラオリンピックが始まりました。
日本選手の皆さんにはがんばってほしいですね! 応援しています!
ところで、
「真剣に」と言われると少しひるみますが、私は一応あります。
体格は小柄ですが、若い頃はスポーツウーマンでした。
中学生の時は、陸上部に所属。しかし、全くの「才能なし」。
(まあ、
その後、チームスポーツがやりたくてハンドボールをやりました。
進学校でしたが、
スポーツをやって良かった理由の1つは、
「勝ち」と「負け」。
勝負の相手は、対戦する誰かである前に、大抵は自分です。
私がスポーツを通じて学んだことは、たくさんあるのですが、
その中でも絞り込んで3つ言えと言われたら、
1・全員が自分の持ち場に「責任」
2・自分を信じる「メンタル」があってこそ勝てること
3・「頭脳的ながんばり方」をしても、闇雲にやっても負けること
まず「責任」について。
陸上競技は個人競技なので、
でも、チームスポーツであるハンドボールでは、
入部して初めて三角パスという練習をしたときの記憶です。
キャッチを何度もしくじって、先輩たちから「キャッチ!」
「ちゃんとキャッチせよ」という意味です。
チームワークというと、仲良くやっているイメージもありますが、
実はそうではなく、
次に「メンタル」について。
いやー これ、説明は要りますまい。
できるかな? 勝てるかな?
入らなかったらどうしようと思って打ったシュートは絶対に入らな
シュートは「入れてやる!」と思って打たなければならない。
そのメンタルを養わないと、どんなに練習しても、
最後に「頭脳的ながんばり方」について。
とかく多くのスポーツは肉体的要素や練習量が勝ち負けに影響しそ
でも、それだけが勝負の要因なのかというと、
相撲でも、平成で言えば舞の海、
肉体的にも練習量でもハンデがあるとき、
「頭を使って勝て」
私が学んだ3つ以外にも、勝負で重要なことはあります。
たとえば、「運」と「勘」。
どちらも、とても非科学的な印象がありますが、
私は、ビジネスでもこの2要素はとても重要だと考えています。
そして、「運」も「勘」も、心の「鍛練」
「鍛練」というのは、しっかり練習し、自らを鍛えること。
「鍛練」なくして、「運」も「勘」も手に入らないであろう...
という人生観です。
こういうと昭和っぽいですが、「スターウォーズ」
少しは自然思想な感じや、禅的なものが伝わるでしょうか?
実際、「スターウォーズ」は仏教的な教訓で溢れています。
仏教では徳を積むことが、
私は、「徳」と「運」「勘」は無関係ではないと思っています。
利己的ではなく、他人のことを思う人には勘が開かれるし、
運も与えられるのではないかなー、と。
さて、話を勝負事に戻すと、先日、
こんなことを言われました。
「勝負事や賭け事は好きなぐらいでちょうどいい。所詮、
話の発端は、
どんなゲームがいいか、聞いていたときでした。
というのは、父は本来、囲碁が好きなのですが、
私自身の時間的負担を減らした上で、
「対戦ゲームはどう?」と聞いたら、
「勝ち負けは、もうどうでも良いから、そんなに興味はない」と。
でも、その後に言ったのが、上に紹介した台詞だったのです。
父いわく、「人生は『勝負事』
自分の思うような結果を得るということ。
勝負事が好きな人は、思い通りに行かない時には悔しいと思い、
自分のどこに問題があったのか、
勝負事が好きなら、それは苦にならない。
でも、勝負事が嫌いな人は負けは苦だし、
他人のせいにしている人は、負け癖がつく」。
ちょっと意訳ですが、そういう意味でした。
100%同意ではないけど、
...というところ、私もその血を受け継いでいるなと思いました。
「運」も「勘」も「勝負事」も
結局はどれだけ心を鍛え、
パリ五輪に出場する選手の皆さんも、
そして、もちろん選手を応援しながら日常に励む私たちも、
自分に負けないように心を整えたいものですね。
はぁ~ でも暑さには負けそうになる...。
今週はもう8月です。
お互いに暑さにめげず、がんばりましょう!
「考えろ」っていうけれど...?
企業から求められる人材像ですが、ここ20~30年、
「自ら考え、自ら行動する」と言われ続けているように思います。
「自考自行」「自考自走」「自考自創」
この点については、
実は、当社でも、昨日も若手向けに「考える」
「論点」と「サブ論点」というものをどう立てたらいいのか、
どこまで考えたら「タスク」に移っていいのかなど、
レクチャーとディスカッションを交えながら教えています。
私は、「会社は学校ではない」と思っていますが、
このような勉強会を行うのは、
その正論を最初から振り翳そうとは思わないからです。
なぜなら今の学校教育は「答えを教える教育」
「考える教育」が行われているように見えません。
しかし、学校教育がそうだからと言って、
まるっきり考えないという人はむしろ稀ではないでしょうか。
むしろ、みんな、何かしら考えているし、考えようとしています。
でも、だからといって、ただ「考えろ」と言われても、
何を考えることが求められているのか、わからないと思います。
なぜ、「考えろ」では不十分と思うかというと...
実は、私自身が「考える」ことを教えようとしても
どうやって教えたらいいのか、考え考えやっているからです。
つまり、自分自身がちゃんと言語化できていないのです。
人に、
私自身が「考える」
自分がその程度でしかないのに、社員にただ「考えろ」
いかがなものか、という気がします。
だから、社員と一緒に「考えるとは?」を考えています。
それは、結構、楽しいです。
なーんちゃって、結構「いい社長風」
ところで、いったいなぜ「考える」ことが、
「AIが~」という答えは聞き飽きているので、
私は、「考える」には大別すると、
2系統+ミックスの3つがあると思っています。
①好奇心を満たすために考える
②より良い結果を得る行動を決めるために考える
③上の2点のミックス
②は、ビジネスのみならず、私生活でもありえますが、
ビジネスで「考えろ」と言われる理由は、主に②
自分一人のための決断なら、考えず、
でも、組織であるからこそ、決めるには理由も必要ですし、
他の選択肢と比べて、どう違うのかの比較検討も必要になります。
で、②について、じっくり考えてみましょう。
「②より良い結果を得る行動を決めるために考える」
つまり、考える先には、行動があることがわかります。ところが、
そうすると人は往々にして考える前に、行動(タスク)
たとえば...
過去の当社のセミナーで、
Q1 あなたは飲食店を開業するために、
としたら、どのような場所に開こうと考えるか?
こう尋ねると、大半の参加者は「駅前」とか「人通りの多い場所」
無意識でも、有利な場所はどこか?を考えているわけです。
次に、こう尋ねました。
Q2 あなたは駅前で屋台を始めることにしました。
あなたの屋台の隣には同種の別の屋台があって、
でも、あなたの屋台は閑古鳥が鳴いている。
こう尋ねると、答えは2通りに分かれます。
1つは策を答えるもの。たとえば、
・メニューを変えてみる
・幟(のぼり)を立ててみる
・価格を見直す 等
もう1つは原因を探るための行動を答えるもの。たとえば、
・隣の屋台の客をつかまえて、どこが良いのか聞いてみる
・隣の屋台で食べさせてもらう 等
感覚値ですが、だいたい半数強の人は策(行動)
さて、では半数の人が策に向かうのはなぜでしょう?
私は、第1は、早く答えを見つけたいからなのだろうと思います。
要するに、この場合なら原因を考えるなんてじれったいのです。
第2は、
だとして、想像してみてください。
原因も分からずに、メニューを変えても多分成果は出ませんよね。
考えることが重要だと思う理由の1つは、
つまり、「急がば回れ」だからです。
焦って策を考えても、最終的には意味がなければ無駄ですよね。
さて、毎週見ているNHKドラマ「正直不動産2」に登場する
Z世代役の十影(とかげ)くんに興味を持っている今日この頃。
十影くんには、一見無駄でも、結局は考えた方がタイパいいよ、
と伝えたくなります。
ヤマピーこと山下智久さんが務める主人公・永瀬財地の、
ウソでも何でもアリだった人生が、正直アリキに変わって、
今では本音をぶちまける様がおもしろくて、
さ、今日は金曜日。
アレもコレもあると思いますが、乗り切りましょう!
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました。
初めの一歩は「意思表示」
当社では、去年頃から、「リーダーシップ」「イニシアチブ」「
キーワードになっていて、
年初も、私は「
という話をしました。
リーダーシップというと集団をまとめて先導するとか、
統率するというイメージが強いですが、
その基本は、明確に「意思表示」することだと思います。
・自分はどうしたいのか
・自分は相手にどうしてほしいのか
・自分はどっちに向かって、どう進めようとしているのか
人を率いてまとめていくとなるとハードルは高いですが、
まず自分の意思を示すということであれば、
でも、この意思表示ができなければ、
集団をまとめて先導することなど絶対ムリです。
だから、リーダーシップの最初の一歩は「意思表示」
でも、
(もちろん、十把一絡げで断定することはしませんが)。
仮に日本人のコミュニケーションの特徴として、
意思表示を明確にしない傾向があるなら、
おそらく「相手の気持ちを察する」気遣いを「是」
でも、「察する」は、ある状況では美徳ですが、
仕事で推進担当者が周りに対して「察してほしい」
私はナシだと思います。
「意思表示」という行動を支えるのは、「主体性」です。
主体性とは、自分で考えて、自分の責任で決め、発言・
その対極にあるのは、指示待ち、受け身、思考停止など。
さらに、空気を読む、依存する、同調する、流される...
さて、「主体性が大事」などということは、
最早ビジネスパーソンなら耳タコではないでしょうか?
でも、なぜ主体性が大事なのか?と部下や後輩から聞かれたら、
何と答えますか?
私はこう答えます。
「私がラクできるから」です(笑)
指示しないとできない人より、
上司の私としては断然ラクです。
でも、上司をラクにさせるために、主体的であれ...と聞いたら、
「なんで、そんなことのために...?」と思いますよね。
だけど、「周りの人、みんなをラクにさせる」と聞いたら、
そんな人は、すごーく価値の高い人だと思いますよね?
図式的にはこうなります。
ーーー
主体的に動く人は、周りの人、みんなをラクにさせる
↓
周りが喜ぶだけでなく、知的労働比率が上がって、結果生産性も上がる?
↓
そこで生じた心理的余裕が、広い視野での思考を生む
↓
それが全社に広がると、会社の生産性も創造性も上がる
↓
生産性も創造性も上がれば、革新的なことも起きやすい
↓
実際に、イノベーションが起きる
ーーー
ちなみに「はたらくの語源は"傍を楽にする"」説、
うーん、あれはもっともらしいけど、疑わしいですね。
今回の話はそれとは関係ありません。
さて、
第三者の存在がなかったとしても、自分の意思で行動する方が、
やらされて行動するより、楽しいに決まっています。
と、考えると、なぜ主体性が大事なのか?
「自分の幸福のため」になるのかもしれません。
自分はどうしたいのか。
自分は相手にどうしてほしいのか。
まずは、そんな意思表示から取り組みたいものです。
(社長といえども、これは案外難しいです)
今月もわずか1週間ほど。
急に寒さが増しましたが、皆様、体調を崩されませんように!
「私にやらせてください」の威力
台風5号、6号の影響を受けている皆様には
心からお見舞いを申し上げます。
私は、台風5号が去り、6号が来る直前に、
休暇で訪れていた石垣島から帰ってきました。
4日間の滞在のうち前半2日は雨、後半2日は晴れで、
最初はアンラッキーだと思っていましたが、
7号も日本に接近しています。
被害が出ないことを祈るばかりです。
さて、石垣島を訪れた理由は、
この春、独立してショットバーを開いたことにありました。
年齢29歳で一国一城の主です。
会計のことや法律的なことを独学で勉強しながら開業したのは、
とても立派だと思います。
こういう若者がいるなら、日本もまだ大丈夫...
この件を通じて、1つだけ考えさせられたことがあります。
彼女は30歳になるまでに、
その理由は雇用される立場だと、
自分の考えた通りにできないからだと話してくれました。
彼女の場合は、行動的ですから、
実際に動いてみて感じたことなのだろうと思いますが、
今回はこの話を糸口に、一般的に言われる「組織にいると
自分の考えた通りにできない」について考えてみました。
私が思ったのは、確かにそのようなケースは多いのだろうな...
と同時に、
ということでした。
実際組織にいるとよくあることなのだろうと思います。
わかりやすいところで言えば、上下関係の影響。
年齢や社歴、経験などによって、
日本社会ではいまだに根強いのかもしれません。
また「和をもって貴しとなす」が歪んで伝わったのか、
意見を言うことは和を乱すことだと思っている人もいるような気が
そういう人が上司にいれば、
不思議ではありません。
一方で、先入観で動きにくくなっている人は案外多い気もします。
仮に新しいことに関わるのが嫌いな上司がいたとして、
自分が考えたことが本当に必要なことなら簡単に諦めるのは早計で
もちろん自分が考えたことが100%
それは上下関係でなくても同じではないでしょうか。
何かを実現させる場合、
上司という一人の人間の賛同を得ることは特別なことではないと思
思ったこと、考えたことができないと感じる人が多い状況は、
言い換えると、
そう思うともったいないですよね。
話は飛ぶようですが、
読みたいと思っている本の1つに伊賀泰代さん著「採用基準」
伊賀さんは、マッキンゼーで採用マネジャーをされていた方。
採用で、
あらゆる人にリーダーシップが必要だという自論をお持ちのようで
かつてリーダーというと、統率する人、
最近のリーダー論は全般的にそうではなくなっているようですね。
伊賀さんの対談をハーバードビジネスレビューで読みました。
https://dhbr.diamond.jp/
これを読んでも、リーダーシップとはこれこれです!
私なりの意訳をするなら、
その本質は「意思表明」と「責任感」ではないか、と思います。
意思がなければ主導的役割は果たせないですし、
リスクを取る責任感がないと意思も示せないと思うからです。
だからこそ伊賀さんは、一部の限られた人だけでなく、
あらゆる人にリーダーシップは必要だと説いているのだと思います
さて、自分の考えで進めたい時の意思表明、意思表示について、
魔法の言葉を紹介します。それは...
「私にやらせてください」です。
~の役割を私にやらせてくださいとか、
~した方が良いと思うので、それを私にやらせてくださいとか。
何をするかを決めても、
このセリフをうちのスタッフから言われたら、
でも、承認を得るって面倒くさいものかしら?
来週はお盆休みの方も多いことでしょう。
暑い日が続いていますが、熱中症に気をつけて
健やかにお過ごしください。
リスキリングよりも意識の成長
4月のブログでも「教える」を取り上げました。
(記事はこちら)
最近の私のチャレンジテーマは、
「教えること」や「人の成長」について考える機会が多いです。
今回も「教える」側の視点から、
というのは、
考えているからです。
さて、まずは最近の注目ワード「リスキリング」の話題から。
2020年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で
「2030年までに地球人口のうち10億人をリスキリングする」
経団連の「新成長戦略」
「リスキリング」は「Re-skilling」。
一般的には、
企業や自治体が従業員に新しい知識やスキル(
身につけさせ、労働移動につなげるための取り組み...
先日、国会議員の片山さつきさんが、「
尋ねても答えられない自治体職員がいる」と話していましたが、
急速に社会のデジタル化を進める必要がある一方、
働く層が高齢化する日本では、
(本来、リスキリングの対象は年齢に無関係だそうですが)
もちろん、それが重要であることに異論はありませんが、
社会の潮流からデジタルスキルについて従業員教育を行うだけでは
大した成果は上げられないのではないかという気がして、
リスキリングという言葉にはひっかかりを感じます。
スキルだけでいいのか?と。
たとえば当社では、採用活動を行う場合、
年齢や経験に応じて知識やスキルはあるに越したことはないと考え
意識や思考の方をより重く考えています。
なぜなら、意識が高いと自己開発力が高くなり、
(あ、採用活動、やっています! 自薦他薦とも歓迎します!)
でも、ここでの「意識が高い」というのは、いわゆる「
以下、ちょっとした知識のお裾分け...。
人の成長には、知識やスキルが広がっていく「水平的成長」と
意識のレベルが高まっていく「垂直的成長」があります。
成人発達理論を牽引するハーバード大学のローバート・
大人が成長するには、意識の成長が不可欠で、
解像度の高いレンズで物事を見られるようになることだと言います
モノゴトの認識の仕方や捉え方、解釈の仕方を柔軟に変化させ、
多様な視点を受け入れられるようになっていくことだと言います。
そのためには自分の信念を含めて固定観念に捉われていないかを問
謙虚な自己客観視が必要だとされていますが、
だから上司にはコーチング的な方法で部下を支援することが求めら
同じような話は、濱田秀彦さんの著書
「仕事を教えることになったら読む本」でも紹介されていました。
この本によれば、「教える」というのは、
「設定したゴールに相手を運ぶために、知識、技術を付与し、
言われてみれば、いえ、言われなくてもかな? その通りですよね。
私なりに噛み砕いてみました。
(A)知識を教える:
(B)技術を教える:
(C)意識を教える:何に対し意識を向けるか、
...てな感じでしょうか。
このように知識やスキルを伸ばすだけでは真の成長はできないと考
ところが、この「意識の成長」
しかも、意識の有りようは知識や技術の習得にも関わってきます。
例えば「苦手だ」という意識があったら、
「身につけねば」とか「失敗したくない」
私も、支援する側にいながら、自分が学んでいるような感じです。
また成人発達理論の「意識の成長レベル」の1つに、
他者の立場に立てるかどうかという尺度があるのですが、
部下に対し、他者の立場に立てるように指導しているつもりが、
「指導しているお前こそ、
という内なる声が聞こえてきたりして。。。涙
実際、
私が十人十色の教え方ができるようになることを目指すなら、
自分の器を広げることが先決なのだろうなと思う今日この頃です。
このメルマガの読者で部下を持っているみなさん、
いっしょにがんばりましょう!
教える仕事は得意ですか?
多くの企業で期が変わり、人事異動などもあって、
この時期はいつにも増して誰かが誰かを教えるというシーン、
多いのではないでしょうか。
私も社長ではありますが、人材育成は常に重要視しているので、
私自身が社員の育成に絡むことは少なくありません。
でも...
果たして教えることが上手か?と自問すると、
必ずしも自信を持って「はい」とは言えません。
私に限らず、これはよく言われることですが、
自分がプレーすることと、
自分ができる、イコール教えられるではありません。
そんな私ですが、「教える」について小さな成功体験もあります。
たとえば学生時代の家庭教師のアルバイト。
当時、ご近所の中学1年生の家庭教師を頼まれました。
お母様から「小学校での成績はイチニ、イチニだったから、
大変だと思いますが、よろしくお願いします」
最初の頃は意思表示も曖昧な恥ずかしがり屋さん。
でも、中学を卒業した頃の成績は、イチニ、イチニではなく、
サンシ、サンシになっていました。
私の教え方が良かったとは必ずしも思いません。
あえて良かったことがあるとすれば、
ゆっくり丁寧に基礎をしっかりやり直しました。
で、成績が上がると、子どもって明るくなるんですね。
当時、
しかし、この逸話、小さな小さな成功体験に過ぎません。
会社を経営していると、どちらかといえば、
人を育てるのは難しいなと感じることの方が多いです。
多分家庭教師と違って、自分ごと度が高いからですね。
悪くいえば、自分の欲得と無縁ではないからだと思います。
あ、いえ、そんなにエゴイストではないつもりですけど(笑
誰かに、仕事で自分の持っているノウハウを教えること自体は、
あまり難しいとは思いません。
でも、私が、人に何かを教える時に悩ましいと感じるのは、
相手の思考特性に合わせた伝え方をすることと、
あなたは今、これができていて、これができていない、
ということを自覚してもらうことです。
できているは、ストレートに伝えればいいわけですが、
ここはまだできていないを本人が納得できる形で伝えるのは、
結構高いスキルが求められると思います。
ソクラテスの「無知の知」をご存知ですか?
「自分には知らない世界があると自覚すること」
自分に知識がないことに気づいた者は、
だから、自分がいかにわかっていないかを自覚せよ、
でも、そもそも知らない世界というのは、
だから、存在さえ知らない世界があることを知れと言われても、
見えないものは見えないわけですから、
教える仕事の人やコーチの人はどうやっているんでしょうね。
あ、そういえば、いくつかについて、私も教わっています...。
彼らから学ぶことは何だろう?と考えてみました。
ありますね、共通点。
たとえば、私の筋トレのコーチは私にこう言います。
「オノさんの場合は下半身の強化が課題です。
週1のトレーニングでは現状維持が精一杯だから、
生活の中で歯磨きのようにトレーニングするのが理想ですね」
私のゴルフのコーチはこう言います。
「課題はグリーンが近づいてからのアプローチです。
そこが思ったようにいかないと、
「課題はアプローチなんだから、そこをがんばるだけですよ」
また、私のドラムのコーチはこう言います。
「今日の中で、これが一番良かったし、方向性は間違っていない」
と、そんなふうに肯定してくれながら、
「今の課題はここを滑らかにつなぐこと。
励ましつつ、課題を指摘してくれます。
こうしてみると、課題を自覚させるというのは、
スポーツやドラムに比べて、仕事の場合はわかりにくいですが、
それをわかりやすく伝えることが、
仕事上のコーチの役割なのかもしれません。
あー 奥が深い。
ゴールデンウィークが近づいてきました!
仕事を手放してお休みください。
5月も爽やかにいきたいものですね!
ディレクションの本質 ~人はみんなディレクター
最初に当社の募集告知をさせてください。
当社では、現在、
詳細はこちらでご覧になれますので、
ご興味がありそうな方にぜひご案内ください。
https://www.grassroots.co.jp/
さて、「ディレクター」という肩書きで仕事をしている人は
いろいろな世界に存在します。
所属する業界や企業によって、
「ディレクション(direction)」
何をする仕事なのかは自ずと見えてきます。
「direction」の意味を辞書で調べると、、、
方向、目的意識、目標、指示すること、監督すること、
と出てきます。
ここから考えると、何らかの目的のために方向性や目標を示し、
物事がうまく進むように人を動かし、ゴールに導く仕事。
そんなイメージを持つことができます。
しかし、こうも思いませんか?
だとしたら、すべての仕事にはディレクションが必要で、
すべての人はディレクターなのではないか、と。
一般に「ディレクター」というのは、ひとつの職制であり、
一種の肩書きだと思われていますし、それはそれでその通りです。
でも、
すべての人はディレクターであるという考え方があっても
おかしくはありませんよね。
たとえルーティン業務であったとしてもです。
なのですが、そのために何が大切なんだろうか、
ディレクションの本質とは何なのだろうかと自問すると、
結構奥が深くて、端的に言うのは簡単ではありません。
ディレクターを募集しているこの機会に、
重要なことはたくさんありますが、本質としてこれは外せない!
次の4つです。
・本質を捉える
・必要なことを生み出す
・是非を判断する
・聞く耳を持つ、率直に言う
もう少し具体的に言うと、どういうことでしょうか。
【本質を捉える】
目的を果たすのがディレクションであるとすると、
目的を意識することはとても重要です。
人は物事に慣れれば慣れるほど目的を忘れてしまう生き物です。
なので【本質を捉える】の1つの意味は、目的に立ち返って
何が大切なのかを考えることではないでしょうか。
と、同時に、目の前で起きている問題(事象)
深いレベルで考えることも2つめの意味として含まれるように思い
【必要なことを生み出す】
これについては、2つに分解することができます。
「必要なことが何かを考える」「
必要なことというのは、予算かもしれない、
アイデアかもしれないし、社内の合意かもしれない。
何が必要かを自分で見極めて、自ら動き生み出すことが
ディレクションには不可欠だと思います。
【是非を判断する】
正しい方向(ディレクション)
是非、すなわち良いか悪いか、OKかNGかを判断することも、
ディレクションの重要な本質ではないでしょうか。
言い換えると「目利き」である必要があります。
そして判断基準は常に目的を果たすために是か非かです。
【聞く耳を持つ、率直に言う】
これも、ディレクションでは外せません。
仲間を束ねるには、一方的に指示するだけでなく、
フラットに意見を聞くことが必要ですし、
ゴールに向かうには意思表示が欠かせません。
そして、案外難しいのがこの「言う」です。
「これこれだから、これは絶対必要です」
「困っているので、助けてください」
「これは目的に合っていないから、採用できません」
相手からどう思われるか考えるとなかなか言えない...。
となってしまうと、ディレクションは機能不全になります。
こう考えてみると、信念と柔軟性を持って仕事をする、
未来の仲間も、そういう人だといいな~
あなたご自身は、どんなディレクションが素敵だと思いますか?
最後にもう一度、ディレクター募集中です!
https://www.grassroots.co.jp/
考える葦
2020年、最後のブログになります。
今年も1年間、おつきあいいただき、ありがとうございました。
さて、コロナに明け暮れた2020年ですが、
あなたはそこにどんな意味づけをしましたか?
私は、企業も個人も、
サバイバルできるか、できないかが問われるようになった1年、
そんな捉え方をしています。
1番の変化は、リモートワークが日常になったことですよね。
これによって、「自律」がキーワードになりました。
自律の定義、ここでは「自ら考え、行動する」こと、としてみます。
で、「自律」を巡っては、2つの問題が生じています。
1つ目は、入社してまもない若年層の育成について。
これまで、企業は、ある程度、学校のような役割を果たしてきました。
日本の学校教育では、「考える」ことをなかなか教わらないので、
学校に代わって、教えてきたという一面があります。
しかし、リモートワークになって、
それ自体難しくなってきているのではないでしょうか?
わかりやすいところでいえば、OJTが以前のように機能しなくなっています。
かつては、営業現場でも生産現場でも、
先輩は、こういう時に「こう考え、こう行動する」を知ることができましたが、
今はどうでしょう?
そのためか、辞めていく若者が増えていて、人事部はそこに悩んでいると聞きます。
そこを埋めるための方法論を築かないと、明るい未来はありません。
2つ目は、では、ジュニアではない30歳以降の人たちが
自ら考えて行動しているか、ということです。
もちろん、私もその中に入ります。
私は、しばしば耳にする「自ら考えて行動する」ということについて、
実はどんなことを意味するのか、
社会、あるいは企業の中で、共通認識がないのではないかと思います。
なぜなら、人は誰しも行動はしているし、
行動している以上、多少なりとも考えた上でのものです。
そんな自分の行動が「自ら考えた行動」と言えるのか、と聞かれたら、
「一応、そのつもり」と思うだけなのではないでしょうか?
つまり、その判断基準が曖昧だからです。
これは、私の解釈ですが、「自ら考えて行動する」というのは、
言い換えれば、「対処でない仕事をすること」だと思います。
対処とは、発生したことに対応すること。
「誰かに言われたから」とか、「こんなことが起きたから」などが動機となって、
行動することが、典型的な「対処型」の仕事です。
一方の対処型でない仕事とは、
誰からも頼まれていないけれど、
やるべきだと自分で判断し、すること。
あるいは、必要なことだと自分が信じているからやること。
ここではそれを「創造型」と呼ぶことにします。
ここで、自分の行動を時間という観点から分析してみたら、どうでしょう?
1日8時間のうち、何時間を対処に当て、何時間を創造に当てているか。
おそらく多くの人は対処に時間を費やしている。
かくいう私自身もそうです。
部下からこれをチェックしてほしいと言われて、
チェックしフィードバックするのは、100%対処。
お客様から打診されたことを検討し、回答する、
様々な相手先からいただいたメールに返信する、
部下から参加してほしいと言われてミーティングに参加する、
これらは、どれも100%対処です。
こういうことが必要だと考えて行動している時間は、
もしかしたら1日の中で5割ぐらいかもしれません。
いや、日によっては1割もない日があると思います。
(もちろん、メールもミーティングも、その中でできる創造型はありますが)
これらの中には「私が対処しなければ」という思い込みから
行なっていることも多々あるとは思いますが、
そういう思い込みをなくしたとしても、おそらく対処仕事は永久になくなりません。
でも、仮に毎日の時間の100%が対処仕事、
という状況が3年5年と続いたら、
相当にひどいパフォーマンスになってしまうのではないでしょうか?
自分の成長も止まってしまいます。
パスカルは随想録「パンセ」の中で、人間を「考える葦」と表現しました。
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。
だが、それは考える葦である」
私たち人間は、唯一考える力を与えられています。
コロナ禍という状況をどう見るかも、各人各様で当然だと思います。
私には、コロナ禍が人間に提示しているものは、
「考える葦になれ」ということのように見えます。
ただ立っていて、風にさらされている葦にはなるな、と。
今年もありがとうございました!
来年はどんな年になるのでしょうか?
あなたにとって、来年が素晴らしい1年でありますように。